リワーク2日目

今日もリワークに行ってきた。

 

今日の内容は、

 

・朝の会

・心理教育

・卓球

 

だった。

 

朝の会

朝の会では、体をほぐす体操をした。

 

このリワークではやたら体をほぐしたがる。

 

体をほぐすことでストレスを逃がす、みたいなこと言っているけど、

 

私は全く信じない。

 

なにやっているんだろう、と思いながら体操をした。

 

心理教育

リワークスタッフによる講義。

 

あまり話がうまくないのか、よく内容がわからなかったが、まとめてみる。

 

病気になった理由

リワークに来ている人は何かしら問題を抱えた人達である。

 

私はまだ症状が軽い方だが、パニック障害になった人もいるらしい。

 

 

 

リワークに来ている人達は何が原因で病気になったのか。

 

それは感覚と思考のギャップである。

 

 

 

人間常に何かを知覚しながら生きている。

 

楽しい、不愉快だ、などといった感覚を抱いている。

 

我々は大人なので、その感覚をそのままにしておくことはせず、

 

思考によってコントロールしている。

 

 

しかし、それが時折無理に押さえつけられることがある。

 

例えば、上司にムカついたなどの怒りをそのままにしておくわけにはいかないので、

 

イライラしつつもその気持ちを無理矢理抑えこむ。

 

そうやって無理に押さえつけられた感覚というものがストレスとして内在化する。

 

 

感覚が押さえつけられることによって、心は委縮する。

 

そして恐れや恐怖、強い怒り、諦めや虚脱といった順に変化していき、

(恐れや恐怖、怒りを経ない場合もある)

 

最終的には消えていなくなりたいという気持ちへと達する。

 

 

これが精神疾患になった人のメカニズムなのだ。

 

 

失敗のスキーマ

上記のメカニズムのさらに恐ろしいところは、

 

繰り返されることで失敗のスキーマが出来上がることである。

 

 

感覚を押さえつけることで、身体は緊張して委縮する。

 

その緊張は言語化され、失敗したらどうしようという不安となる。

 

その不安は、恐れという形に変化する。

 

そういった恐れの中での行動は失敗しやすいもので、

 

失敗したことで、今まで抱いていた「失敗したらどうしよう」という不安は、

 

「ほら見たことか」という確信へと変化する。

 

 

これが失敗のスキーマである。

 

 

ちょっと先がよくなるように

ではいったいどうすればいいのか。

 

社会の中で生きるものとして、感覚・感情をそのまま表に出すわけにはいかない。

 

コントロールしなければいけない。

 

 

(ここからよくわからなかったのだが、)

 

ストレスへと変化する前の”もやもや”という感覚を無理矢理抑え込むのではなく、

 

丁寧に言葉で取り出すことが大事なのだ。

 

 

感覚を言語化する際に不安という形ではなく、

 

今からちょっと先の未来が良くなるような言葉で取り出すのだ。

 

出来るだけ本音で、現実的な言葉で取り出すのだ。

 

 

卓球

午後からは卓球をした。

 

中には卓球が大好きな人もいるようでうまい人がちらほらいた。

 

ただ、私が求めているものはこんなことではない。

 

なぜ、いい年しておっさん達とわいわい卓球をせなならんのだ。

 

私は継続して働けるようになりたいのだ。

 

卓球をしたいわけではない。

 

こんな子供だましはしたくない。

 

やはりリワークの効果を疑わざるを得ない。

 

 

今日一日を終えて

やはり卓球がいい例なように、

 

リワークは費用対効果が薄い気がする。

 

心理教育も興味深い話をしているのだが、

 

いかんせん話が下手なのでわかりづらい。

 

そしてやたら体操を推してくるのが謎だ。

 

疑問ばっかりのリワーク、本当に苦痛だ。

 

早くやめたい。