「嫌われる勇気」~結局ここに帰ってくる~

社会人生活がうまくいっていない。

 

 

適応障害になり、二度の休職を経て、復職した今も休みがちになっている。

 

このままだと三度目の休職も近い。

 

 

 

原因はおそらく自信のなさと不安感であろう。

 

もともと心配性な性格で仕事の成果や期限に対していつも不安感を抱いていた。

 

その不安感に対してかつては自分の能力への自信でなんとか均衡を保っていた。

 

しかし、二度の休職を経て自分の能力への自信というものは消えてしまった。

 

こうして不安感に対抗できるものがなくなり、ストレスが大きくなってしまい、

 

休みがちになってしまっているのだろう。

 

 

かつての愛読書

 

不安感に対する対処法はどうしたらいいのか、いくつか本を手に取って読んでみたがピンとこない。

 

そこで、本棚からかつての愛読書を引っ張り出してきた。

 

「嫌われる勇気」である。

 

アドラー心理学をわかりやすく解説した本で、発売されてからもう何年も経っているのに未だにベストセラーランキングに入っている名著である。

 

この本を最初に手に取ったのは大学院生のときで、当時そこまで大きな悩みを抱えていなかったのにもかかわらず感銘を受けた。

 

今まさに大きな悩みを抱えているこの瞬間に読むべきではないかと思い、再度読むことにした。

 

 

覚悟はしていたが、読んでみるとグサグサ胸に刺さるものがある。

 

アドラー心理学は目を背けたくなるような真実を突き付けてくる。

 

 

今回は目を背けずにアドラー心理学に乗っ取って自分の感情を分析したい。

 

 

不安の捏造

 

アドラー心理学は、一般の人が考えるような「過去の~~という経験のせいで~~という性格になってしまった」という「原因論」を否定する。

 

「~~という目的で~~という性格(感情)を生んでいるのだ」という「目的論」を展開する。

(本では「感情の捏造」という表現をしている)

 

詳しい解説は割愛するとして、ここで自分の不安感を目的論に基づいて考えてみたい。

 

自分が仕事で抱く不安感はどういった目的で生まれているのか。

 

 

この仕事が期日までにこなせなかったらどうしよう。

 

この仕事をうまくやりとげられなかったらどうしよう。

 

 

この不安の目的は何なのか。

 

アドラー心理学では全ての悩みは対人関係に依るものだと言う。

 

この不安も他者との関わりの中で生まれているのだろうか。

 

 

失敗したらどうしようという不安は、失敗した後の対人関係を恐れているということなのか。

 

もし仕事で失敗したら周りからどう思われるか。

 

無能と思われるかもしれない。

 

使えない奴だと思われるかもしれない。

 

 

それが恐ろしいのかもしれない。

 

 

失敗して無能の烙印を押されたくない。だから不安感を”捏造”して動けなくする。

 

会社を休んでしまえば失敗をすることはない。病気だという言い訳ができる。

 

そういうロジックなのかもしれない。

 

 

 

仮にそうだとしたらどうすればよいのか。

 

失敗を恐れるな、なんてできたら最初からしている。

 

もう少し考察を続けてみる。