主人公になれなかった自分

「君たちには無限の可能性がある」

 

 

よく、大人が子供に対して言う言葉である。

 

実際、自分も子供の頃、教師からこのような言葉を言われたことがある。

 

そのような言葉を真に受けていた自分は、将来何かすごい人間になるものだと思っていた。

 

 

 

 

人生とは選択の連続である。

 

進路、交友関係、趣味、ありとあらゆることを選択して生きている。

 

選択するということは、何かを選ぶ一方で何かを選ばないということである。

 

選択を繰り返していくうちに自分の将来像がはっきりしていく一方で、可能性というものは狭まっていく。

 

 

気が付けば自分はもう27歳。

 

大学、就職などを経て、自分の人生の輪郭がくっきりとしてきた。

 

そこでぼんやりと思うことがある。

 

 

自分は高校生の頃に思い描いていた「すごい人」になれていないのではないだろうか。

 

 

どこにでもいるただの会社員になってしまっている。

 

 

ふとテレビをつけると連日オリンピックのニュースをやっているが、

 

オリンピック選手、特にメダリストは、いわばこの世界の主人公である。

 

一方、それをテレビで応援している自分はいわば脇役である。

 

今後の人生において、自分がテレビに取り上げられるようなことはおそらくないだろう。(もちろんテレビに取り上げられるというのは、ほんの一例である)

 

過去の自分の思い描いていた理想像になれなかった。

 

その事実と向き合う時期なのではないだろうか。

 

 

 

心理カウンセラーにこの前こう言われた。

 

 

「人生というものは、成功と失敗の2値しかないのではなく、連続的なものである」

 

 

たしかに自分はスーパーマンにはなれなかった。

 

だが、そのスーパーマンになれなかった自分の人生は失敗だったのか。

 

そうではないはずだ。

 

 

スーパーマンになれなかった自分の人生を失敗として否定するのではなく、

 

こういう人生もアリなのだと認めていくことが今の自分に求められている気がする。