小学生マインド

最近寝る時によくラジオを聴いている。

 

ラジオと言っても、本来の意味であるAM/FMラジオではなく、youtubeに上がっているネットラジオである。

 

そのラジオでは、普段ウンコ💩がどうだのなんだのといった、しょうもない話をしているのだが、ある回で突然真面目な話が出てきて、その話がとても印象に残ったので、ここに書いておく。

 

鬱になる原因

(以下ラジオ要約)

鬱になる原因というのはもちろんいろいろあるだろうが、よくあるのは「現実の自分と認識の自分のギャップ」である。

「現実の客観的な目で見たときの自分」と「自分が主観的な目で見たときの自分」に差があると鬱になることがある。

 

 

「自分はもっとやれるはずと思っていたのに実際はそこまでできない」だとか「本当はもっとやれるのに自分のことを信じきれない」といったようなギャップが自分の心を苦しめる。

 

大事なのは「正しく自分を見つめること」なのかもしれない。

 

 

小学生のマインド

(ラジオ要約続き)

この話は見方を変えると、「理想の自分をどこに持つか」という話にもなる(若干の飛躍を感じるが)

 

理想の自分を掲げること自体は何も悪いことではないが、それが認識の自分「私はこれくらいやれるはずだ」に置き換わると危険である。

 

ここで小学生の頃を考える。

 

あの頃は全く理想の自分なんてものはなかった。

その日その日を生きることに全力を注いでいて、自分が将来どうなりたいか、何をしたいかなんて全く考えていなかった。

 

だから、「現実の自分」をそのまま「認識」していたし、そういう意味においては思い悩むことはなかった(もちろん友人関係や宿題などで思い悩むことはあった)

 

それが思春期を経ていつしか「理想の自分」というものを考え始め、時折「認識の自分」に置き換わろうとする。

 

大人になった今も小学生の頃のマインドが必要なのではないか。

 

 

今を楽しむということ

(ここからは私の感想)

 

すごく腑に落ちる話だった。

 

確かに小学生だったあの頃は日々を生きることに全力を注いでいた。

 

将来の夢なんて書かされることはあったが、実際そんなものはなく、テストで良い点を取ることよりも放課後の鬼ごっこポケモンのことばかり考えていた。

 

当時悩みはあったが、決して今のような適応障害になる余地はなかった。

 

とても良い話を聞いたように思う。やるじゃんウンコ💩ラジオ。

 

 

アドラー心理学の解説書として流行った「嫌われる勇気」では、人生とはダンスのようなものと書いてあった(ここでいうダンスとは社交ダンスのような優雅なダンスを指しており、アイドルが踊っているようなダンスを指しているわけではない)

 

アドラー心理学における理想の人生は、一つのゴールに向かって走るマラソンではなく、その都度その都度行きたい場所が変わっていき気がつくと一つのショーになっているようなものである、ということらしい。

 

大事なのは今この瞬間を生きることなのかもしれない。

 

 

 

まあただ、理想を抱くこと自体はメリットもあると思うので、理想を抱かなければいいというのはさすがに暴論のように思う。

 

大事なのは「理想の自分」をあくまでも「理想」として割り切っておくことだと思う。