自分の人生

新年初投稿。

 

本来ならば、今年の目標を記事にすべきだが、

ちょっとそういう気分になれなかったので、

次回書くことにする

(ちなみに目標は既に考えてある)

 

 

帰省しないという判断

年末が近づいてくると、よくこんな話をする。

 

「実家に帰省するか」である。

 

年末年始という長期休暇を普段会えない家族と一緒に過ごす人は多い。

 

特にコロナ禍の今、地方に住む親元に帰るべきか否かは、なかなか難しい問題である。

 

 

今年は去年に比べてコロナが落ち着いているということもあり、実家に帰省する人が多いように思われた。

 

 

私も実家から離れて暮らしているのだが、今年も実家には帰らなかった。

 

もうかれこれ2年近く親とは会っていない。

 

とんだ親不孝者である。

 

 

実家に帰らなかった理由は大きく分けて2つ。

・親の負担を増やしたくないという利他的理由

・実家で過ごしたくないという利己的な理由

である。

 

親の負担

2019年の12月に母が脳卒中で倒れた。

 

 

一命は取り留めたが、半身麻痺の後遺症が残った。

 

 

それからずっと障害者施設で過ごしている。

 

 

基本的にリハビリや普段の生活の面倒は、障害者施設は任せているが、

なんだかんだで家族の世話(病院に連れて行く等)が必要らしく、

そういった世話は全て父が行っている。

 

 

父の住んでいる実家から母の住んでいる障害者施設は車で片道1時間半〜2時間かかる。

 

2週に1度程度通っているらしい。

 

 

また、父は祖母(父の母)の面倒を見るため、これまた2週間に1度程度、片道1時間半〜2時間かけて様子を見に行っている。

 

 

今年の2月に69歳になる父にとってこれはなかなかしんどい作業である。

 

父は母とも祖母とも仲が悪いのでより一層精神的に負担になっていることであろう。

 

 

そして父は極度の完璧主義であり、自分の決めたルールを絶対に守らなければならないという制約を自分に課している。

 

そのルールとは、

・家は常に清潔にしなければならない

・お金はできるだけ節約しなければならない

・他人の手を借りてはならない

・横着をしてはならない

・世の中のルールは絶対に守らなければならない

等である。

 

このマイルールを守るため、毎日家中を隈無く掃除するし、スーパーでお惣菜を買うときは半額のシールが貼られるまで待つ。

 

マイルールを絶対視するため、

全ての作業におそろしいほどの時間がかかる。

毎日3時間程度しか寝てないらしい。

 

 

もし私が実家に帰省するとしたら

否が応でも父の負担を増やすことになる。

 

私のご飯の用意や最寄り駅までの送り迎えまでしようとする。

 

私としてはご飯は自分で調達するし、実家までバスを使って帰るのは造作ないのだが、

父のエリアである実家では、「全て自分がコントロールしなければならない」というルールがあるため、

私は自分のことを自分ですることさえできない。

(キッチンを私が使うことさえ許されないし、私が父の送迎を断ると機嫌を悪くする)

 

 

ということで、私が帰省するとただでさえ現状で手一杯である父の負担を増やすことになるのだ。

 

そう思い、母が倒れてからは実家に帰省していない。

 

 

心が休まらない実家

コロナ禍で実家に帰らないという選択をした人は少なくないが、よく聞くのは

 

コロナで実家に帰れなくて悲しい

 

という声である。

 

私からすると、「帰りたい実家」というものが心底羨ましい。

 

大学進学と同時に上京して以降、毎年盆と正月には帰省するようにはしていたが、

 

帰省とは義務であり、何も楽しくなかった。

 

実家が居心地悪くて仕方がなかった。

 

 

父が極度の完璧主義であることは既に書いたが、世の中全てが自分の思い通りに進むものではない。

 

自分の思い通りに物事が進まなかったときに父はどうするか。

 

怒りを露わにして、周囲を屈服させようとするのである。

 

人それぞれ考え方が違うが、自分の思い通りに周囲の人間が動いてくれなかったときは、

相手が誰であろうと怒鳴りつけ、自分の思い通りにしようとするのである。

 

そのため、父がどういう人間かを知る人は、父を怒らせないために最大限の気を使うのである。

 

しかし、父は独特のマイルールがあまりにも多く、このルールを全て守り通すのは至難の業である。

 

父と一緒に生活すると何かしらのルールを破り、怒られることになる。

(ちなみにルールを父に尋ねることもルール違反である)

 

 

そして更に、父は「突然のゲリラ豪雨で洗濯物が濡れてしまった」というような誰の罪でもない事にも腹を立て、周囲に怒鳴り散らす。

 

地雷を踏んだわけではないのに、勝手に爆発するのである。

 

一度爆発すると、それまでの父のマイルールが難化し、それまでは許されていた事もなぜか許されなくなる。

 

 

このような理不尽で扱いにくい人間なので、当然父の周囲に人はいない。

 

母、祖母、伯父、全員と仲が悪い。

 

私も血のつながりがなければ縁を切っているだろう。

 

 

こういう理由で私にとって帰省とは苦行であり、コロナや親の負担を理由に今年も帰省しなかった。

 

 

親の人生

上記の理由から今年も帰省しなかったわけだが、気掛かりなのは母のことである。

 

母が障害者施設で生活しているのは既に書いたが、

もともと母は人付き合いがうまくないことに加え、

周りの入居者が高齢な人間ばかりということもあり、

友達がいないようなのだ。

 

左半身が思うように動かず、田舎の障害者施設で一人過ごすのは寂しいに違いない。

 

おそらく私に会いたいと思っていることだろう。

 

そんなことはわかっていながら私は帰省しなかった。

 

なんなら毎日母から送られてくる大量のLINEにもあまり返信していない。

 

親不孝なのはわかっている。

 

 

 

ただ、正直限界なのだ。

 

母からLINEが来るたびに、「良い息子」として返信をしなければならないという強迫観念に襲われる。

 

そして、母の現状を変えてやりたいがそれができない自分の無力さを感じる。

 

母という存在が精神的な重荷になってしまっている。

 

 

 

 

母から送られてくるLINEにはよくこのようなことが書いてある。

 

「夫婦仲が悪くてとても辛かったけど、あなた達がいたから私は幸せだった」

 

「あなた達と過ごしたあの頃が私の人生で一番幸せだった」

 

今が充実していないせいか、過去をやたらと振り返るようで、何かにつけてこのようなことが書かれているのだ。

 

母にとって生きる意味は私達子どもであり、

子どもがいたから辛い夫婦生活も耐える事ができた。

 

それだけ私達を愛してくれているのだということを伝えたいのだろうが、

それを聞かされる子どもとしてはとても辛いのだ。

 

私達がいなければ、母は父と離婚できたのではないか。

 

そして別の伴侶を見つけることができたのではないか。

 

母と一緒に暮らした方が母を幸せにできるのではないか。

 

今の私の生活は親不孝なのではないか。

 

 

そんなことを思ってしまう。

 

 

 

自分の人生を否定的に見る母は、なんとかして自分の人生の意義を見つけようとして、それを子どもに求める。

 

「私の人生はあまり良いものではなかったけど、あなた達が立派に育ってくれたから私の人生は幸せ」

 

 

母には自分の人生を生きてほしい。

 

もう子どもとは一緒に暮らしていない現実から目を背けず、過去ばかり見るのではなく、今この瞬間に幸せを見い出してほしい。

 

私達子どもが幸せになることで間接的に幸せを感じるのではなく、自分の人生そのものに幸せを見い出してほしい。

 

私は私の人生を生きたい。

 

母の幸せまで背負って生きるのはできない。

 

過去のことばかり回顧するLINEではなく、今この瞬間を楽しむLINEを送ってほしい。

 

なんでもいい。

新しい趣味を見つけるでもいいし、父とは違う別の男性を見つけるでもいい。

子どもに依存しない自分の人生を生きてほしい。

 

 

辛かった年末年始

苦労している父や寂しがっている母を放置して自分は一体何をしているのか。

 

そんなことばかり考えてしまい、この年末年始はとても辛かった。

 

人生は自分でコントロールできないことが多すぎる。

 

 

 

2022年は憂鬱なスタートだった。