鈍感力

私は繊細である。

 

 

他人のちょっとした一言にも傷つくし、何も言われてないのに嫌われているんじゃないかと思うことがある。

 

 

繊細であることを求められた

私の父はとても怒りっぽく、父の思い通りに行かないと怒鳴りつけられる。

 

鈍感な母とは相性が悪く、しょっちゅう母が父を怒らせていた。

 

私が繊細な人間になったのはそのような環境で育ったからかもしれない。

 

 

父を怒らせてはいけない。

 

常に周りの人間が何を考えているかを予測し、気分を害するようなことをしないように行動してきた。

 

 

繊細であることを求められてきた気がする。

 

 

繊細エピソード

私は常に周りの人間が何を考えているか気を配っている。

 

 

たとえば、大人数の飲み会。

 

その場に打ち解けられずあまり喋れていない人がいると私はすぐに気づく。

 

というより、そのような人間がいないか、楽しんでいない人がいないかを常に警戒している。

 

(ただし、そのような人間がいたときに、行動ができるかどうかは別問題だ。自分がその場の支配者なら話題を振るが、そうでない場合はただその人が辛い思いをしているのを眺めるだけである)

 

 

他の例では、サークルに来た新入生。

 

彼は馴染めているだろうか、浮いてしまっていないだろうかを常に見ている。

 

(これも同様に馴染めていないからといって助けてあげられるかは別問題だ)

 

 

こんな風に繊細(と言うのは違うかもしれないが)であるが故に周囲に常に気を配っているのである。

 

 

鈍感な方が生きやすい

だが、私は思う。

 

 

鈍感な方が社会では生きやすいのではないか、と。

 

 

繊細であると、本来感じなくてよいストレスを感じてしまうのだ。

 

 

周囲の人が何を考えているか常に気を配っていると書いたが、正確には「周囲の人が自分にネガティブな感情を抱いていないか」を気にしているのだ。

 

 

在宅勤務が多い私に対して職場の人達は「コイツ、サボってるな」と思っていないだろうか。

 

自分から挨拶しなかった私に対して「コイツ、礼儀がなっていないな」と思っていないだろうか。

 

 

自分の全ての行動が全ての人間に悪影響を与えないか常に気にしているのである。

 

 

これがめちゃくちゃ疲れるうえに、ストレスが溜まるのだ。

 

 

ちょっとしたことでも、「今のまずかったか?」と思ったり、「嫌われているんじゃないか」と思ったりする。

 

 

鈍感な人間ならそのようなストレスを感じなくてよい。

 

この現代社会は繊細な人間にとって生きづらいように思う。

 

 

どうしたらいいのか

大事なのは、確定情報と不確定情報に切り分けることだろう。

 

「嫌われているかもしれない」時点では何もしなくていいのだ。

 

「嫌われている」と確定した時点で動けばいいのだ。

 

そこの切り分けがうまくなりたい。