自分にとってはささいなこと

強すぎる劣等感

私は自分のことを低く見る傾向がある。

 

 

自分は他人より劣っている。

それを裏付けるような証拠ばかり拾い集め、劣等感を強くしている。

 

 

常に油断しない、胡座をかかないという面では良いことなのかもしれないが、強すぎる劣等感は時として自分を苦しめる。

 

 

 

消えていった自信

私は職場では若手の部類に入る。

 

とくに今の会社のような技術職では、経験がモノをいい、若手はなかなか活躍を実感しづらい。

 

褒められることはなく、叱られることの多い職場。

 

入社してから今日で丸4年が経つが、そんな環境では、そこそこの自信を持って入社した私も日に日に自信が失われていった。

 

 

 

私は能力がない。

 

 

気づけばそれは確信に変わっていた。

 

 

 

どんなスキルを持っているか

そんな私に転機が訪れる。

 

 

3度目の休職を機に、部署と仕事内容を変えることとなった。

 

部署自体は同じフロアのままではあるものの、仕事内容は今までと大きく変わった。

 

 

 

 

新しい部署に移ってすぐ、新しい上司にこう聞かれた。

 

 

「君の持っているスキルを教えて」

 

 

そんなものはない、と言いたいところだったが、そういうわけにもいかないので、数少ない自分のスキルを述べた。

 

そのうちの一つに上司は注目した。

 

 

 

プログラミングスキルである。

 

 

 

学生時代に研究で使うからとpythonC++を少し勉強した。

 

とはいっても、独学であり、情報系の人達ほど深い知識を持っているわけではない。

"齧った"程度である。

 

 

だが、上司にはプログラミングスキルが引っかかったらしく、プログラミングを使う業務を割り当てられるようになった。

 

 

ささいな依頼

しばらくして、ある作業を依頼された。

 

とある社内ツールがどうやらイマイチの使い勝手なようで、それを自動操作するプログラムを開発してくれないか、とのことだった。

 

自分にとってその作業は、少し苦戦するもののまあなんのことはない、それくらいのものだった。

 

多少出来に心残りはあるものの、とりあえず完成と言えるレベルのものができたので、上司に送った。

 

すると、上司はそのプログラムを他の課の人間にまで展開した。

 

他の課の人間に使われるなんて聞いてないし、あまりいろんな人に見られてケチをつけられたくないなあ、と思っていたら、

 

 

なんと、好評価の声が続々とやってきたのだ。

 

 

「作業時間が短縮された。ありがとう」

 

思いがけず感謝されることになり、久しく感謝されていなかった私は反応に困ってしまった。

 

 

回り始めた好循環

先日、私のデスクに前の部署の先輩がやってきた。

 

「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

 

その"お願い"とは、その部署で使っている解析ツールを自動操作するプログラムを作れないか、ということだった。

 

どうやら、私が社内ツールの自動化プログラムを開発したという噂を聞きつけたらしく、他にもできないかと思い、やってきたのだ。

(うちの会社では業務改善活動というものがあり、私が自動化プログラムを作ったことが知らぬ間に発表されていた)

 

プログラミングにもいろいろあり、新しく依頼された内容は今までと少し毛色の違うもので、自分にできるかどうかわからなかった。

だが、まあできなかったときは断ればいいか、と思い、少し時間をもらった。

ちょこちょこ調べてみて、自分にもできそうだったので、プロトタイプとすら呼べないレベルの試作品を作り、その先輩に見せた。

 

先輩は、まだ到底できないと思っていたらしく、ひどく驚かれた。

 

そして試作品を先輩の前で動かしてみたら、その出来に更に驚かれた。

 

そのあまりの驚き様に周囲の人間が興味を持ち、ぞろぞろと何人かやってきた。

 

そしてまた驚かれる。

 

 

そのような反応をされるとは思っていなかった。

そして、自分の中から自己肯定感が湧き上がるのをはっきりと感じた。

 

 

自分にとってはささいなこと

学生時代、研究室ではプログラミングができるのは当たり前だった。

(なんなら私はできない方でしょっちゅう先輩に教えてもらっていた)

 

そんな環境で過ごしたせいで、私にとってプログラミングとは、技術者にとって必須のスキルであり、単なる道具でしかない。

そんな認識を持っていた。

 

 

だが、どうやらそうではないらしい。

 

技術職の今の職場においても、プログラミングができる人は一割にも満たない。(正直どうかと思っている)

 

どうやら私は希少な人間らしい。

 

 

自分にとっては取るに足らないささいなことでも実は人の役に立つことがあるのだ。

 

 

その眼鏡は合っているか

長々と書いたが、「自分は能力がないと思ってたけど、実はすごい人間でした」と言いたいわけではない。(断じてそんなことは思っていない)

 

ここで言いたいのは、「自分が認識している世界は本当に正しいのか」ということである。

 

おそらく多くの人間が「自分が見ている世界」を「本当の世界」だと思っている。

 

しかし、誰しも気付かぬうちに作り上げた自分オリジナルの眼鏡を通して世界を見ているのだ。

自分が見ている自分も、他人が見ている自分も、全て何かしらの眼鏡ごしに見ている。

 

つまり、「本当の世界」なんてものは存在しない。

 

 

 

現に私も気付かぬうちにひどくバイアスのかかった眼鏡でこの世界を見ていた。

 

周囲の人間は皆、自分より優秀で、自分には能力がない。

 

 

しかし、眼鏡を外してみると決してそうではないと気付いた。

 

私にも周囲の人間より優っているところはあった。

単に自分の劣っている分野だけを見ていたに過ぎなかったのだ。

 

 

 

おそらく私と同じように劣等感に苦しんでいる人間は多いと思う。

 

苦しいときは一度立ち止まって考えてみるといいのではないか。

 

その眼鏡は合っているか、と。

 

 

 

口で言うのは簡単だが、この眼鏡を外すというのはとても難しい。

 

時間がかかるかもしれないし、私のように環境を変える必要があるかもしれない。

もしかしたら、周囲の人間も間違った眼鏡をかけている可能性もある。

 

 

戦うフィールドを間違えるな

間違った眼鏡をかけているかもしれない。

 

正直な話、自分はこんなことを言われても、そう簡単には自分の劣等感を消せないだろう。

 

なぜなら、周囲の人間と比較しても明らかに自分は劣っている。

なんなら先輩だけでなく後輩にも負けている。

これは客観的事実だ。

 

そう思うに違いない。

 

 

しかし、もう一つ抜けている考え方がある気がする。

 

 

戦うフィールドを間違えていないか、と。

 

 

そもそも先輩に経験値で勝てるはずがないのだ。

 

違う分野で勝てばいいのではないのか。

 

 

技術力や経験値で勝てなくとも、他の能力で勝てるかもしれない。

それこそプログラミングスキルとか。

 

 

もちろん私のプログラミングスキルも、本職のプログラマーには勝てない。

でも、本職のプログラマーには別の分野で勝てばいいのではないか。

 

 

たとえば、私が職場の上司に、

大谷翔平に野球で勝てないからどうしよう」

と相談したら鼻で笑われるだろう。

大谷翔平に野球で勝負するなよ」と。

 

 

自分は能力がないと思っている人はもしかしたら"相手"の有利なフィールドで戦っているのかもしれない。

 

別に仕事だからといって尺度は一つではないし、見方によっては自分が勝っている分野があるかもしれない。

 

そしてその分野は絶対的なものでなくていい。

戦う相手によって戦うフィールドを変えればいい。

(大谷翔平には野球以外で勝てばいいのだ)

 

全く同じ人生を送ってきた人間なんていない。

絶対に相手より勝っている分野がある。

 

 

もちろん、だからといって努力しなくていいというわけではない。

人間、高みを目指すべきだと思う。

どんな分野でも上には上がいる。

しかし、自分より上の人間はあくまでも目標として利用すべきであって、自分を卑下する道具に使うべきではない。

 

 

 

 

 

過去の自分へ

もし一年前、二年前の自分に会うことができるならこう言いたい。

 

その眼鏡は合っているか。

 

戦うフィールドを間違えていないか。