温泉が"温泉"であることの必要性

スーパー銭湯に来ている。

 

休日の朝から銭湯に来ると、幸福度が爆上がりする。

朝というのが重要。午後も有意義に使えるという余裕。

 

 

やはり温泉はいい。

ボーッと湯に浸かり物思いにふける。

 

そしてサウナに入る。

サウナでは人に見られているような気がする。

まだ入って数分なのに出るのはダサくないだろうか。

水風呂にちびちびと浸かるのはカッコ悪くないだろうか。

 

なんとなく「"ととのう"ってこういうこと…?」という感覚が出てきたあたりで浴室から出る。

未だにトリップする感覚は味わったことがない。

 

 

 

 

そして今は休憩スペースでまったりしているのだが、温泉についてふと思うことがある。

 

温泉が"温泉"であることの必要性はあるのだろうか。

 

どうやら日本には温泉法というものがあり、"温泉"とは「地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気、その他のガス」と定義されているらしい。

つまり"温泉"は「地中から湧き出ること」が必要条件であり、"温泉"と謳っている場所は必ず地中から湧き出たものを使っているはずだ。

実際に、温泉施設では、〜〜で湧き出た湯であることが必ず書いてあり、温泉が直接出ない場所ではわざわざ遠方の温泉地から濃縮した湯を運んでいる。

 

 

でも私は風習やルールに違和感を覚える。

なぜなら別に地中から湧き出た湯であることに重要性を感じないからだ。

人々が温泉に求めるものは"気持ち良さ"や"雰囲気"であって、地中から湧き出ているかどうかは影響しないと思う。

どちらかというと、露天風呂があるかとか、浴場の雰囲気がリラックスできるかとかそういうことの方がよっぽど重要なはずだ。

 

ぶっちゃけた話、入浴剤入れただけのお湯だったとしても、温泉体験になんら影響はないし、それを見抜ける人はいないのではないか。

(こち亀で実際そういう話はあった)

 

「源泉かけ流しです!」とアピール施設は多いし、それを重要視してる客も多いように感じるが、「別にきちんと汚れを取っていれば循環させていてもよくない?」とすら思っている。

 

 

温泉が"温泉"であることの必要性は本当にあるんだろうか。

努力や評価の方向がズレていないか。