なぜ会社に行きたくないのか

GW最終日の夜

明日からまた仕事である。

 

このGWを振り返るとあまり有意義なことはしていない。

 

少し本を読んで、英語の勉強をしたくらいだ。

 

自分でも時間を無駄遣いしているなあという気持ちはあったのだが、とくに何かしたいこともなく、だらだら寝て、ゲームして過ごしていた。

 

外出ができないこのご時世だから仕方ないのかもしれない。

 

しかし、これだけ非生産的な生活をしていたわけだが、それでも明日からの仕事は憂鬱だ。

 

ずっとだらだら過ごしていたのだから、少しくらい「仕事が待ち遠しい!」となっても良さそうである。

 

しかし、不思議なことにそのような気持ちに全くならない。

 

なぜこんなにも仕事が憂鬱で嫌なのだろうか。

 

仕事が嫌な理由を考えてみる

退屈だから

仕事が嫌であることの、今の私にとって一番の理由は「退屈だから」である。

 

「退屈である」というのは、言い換えると「時間が長く感じられる」ということだ。

 

私はまだ残業禁止期間ということもあり、大きな負荷をかけられていない。

 

そのため、やらなければならないことが少ない。

 

いわば暇しているのだ。

 

きれいピッタシに毎日定時時間で終えられるような業務を割り当てられているわけではない。

 

どうしても日によってムラがあり、忙しい日はあっという間に一日が終わるが、業務の少ない日は退屈なのだ。

 

人間、やることがないのにそこにいなければならない、という時間は苦痛に感じられるものである。

 

校長先生のつまらない話を延々と聞かされているときのように。

 

 自分の思うように仕事ができないから

二つ目に考えられる理由として、「自分の思うように仕事ができないから」が挙げられる。

 

言い換えるならば、「能動的に動けない」「やらされている」といった感覚に近い。

 

これは自分が若手故に感じていることだと思うが、まだまだ業務を覚えておらず、自分で業務をコントロールできない。

 

スケジュールやタスク管理もできないし、どのように業務を進めていいのかもわからない。

 

そのため、能動的に動けず、やらされている感が強いのだ。

 

こういった感覚は仕事を苦痛なものにする。

 

理想と現実に乖離があるから

今の自分にはあまりないのだが、「理想と現実に乖離がある」というのは大きなストレスになりうる。

 

というのも会社を休職する前は、この感情が大きかった。

 

「理想」と言うと仰々しいが、納期や締切に間に合わせなければならない、というのも一つの「理想」である。

 

スケジュールに遅れを招いているというのは、理想と現実に乖離があると言える。

 

実際このような状態になるとかなりのストレスになる。

 

時には自分で勝手に理想を作ってしまっていることもある。

 

ただ、今の自分は緩いスケジュール感の中にいるのでこのような感覚はあまりない。

 

自信がないから

次に考えられるのは、「自信がないから」である。

 

今の私にはこの感情は多少なりとあると思っている。

 

一度休職してしまったということもあり、仕事に対して自信が持てず、失敗してしまうのではないかという不安な気持ちがある。

(失敗しても別にクビになるわけではないのだが。)

 

この気持ちは決して心地よいものではないため、ストレス源となっている。

 

仕事はつまらないという思い込みがあるから

最後に、思い込みについて考えておきたい。

 

ここ一年で自分の中に「仕事=苦痛」という固定観念が定着してしまった。

 

今なんて「仕事行きたくないなあ」が口癖になっている。

 

仕事はつまらないものという刷り込みが行われており、それによって行きたくなさが増長されている節がある。

 

会社に行くのを少しでも楽にするには

自分の感情を分析したところで、次に活かしたい。

 

できれば仕事を楽しいものに変えてやりたい。

 

分析した感情のうち、対処できないものもあるが、対処できるものは対処する。

 

隙あらば自分主体でやるという意識

どこか受け身になっている節があるので、勇気を持って主体的にやる気持ちを持つ。

 

最初は勇気があるが、主体的になった方が楽しくなるはずである。

 

わからないことは聞く。

 

しょうもないことを聞いて馬鹿にされてもいい。それは相手が悪い。

 

自分主体でまわりを動かしてやるんだという気持ちで仕事を行ってみたい。

 

失敗してもいいのだという気持ち

主体的になることの副作用として、失敗したときの落ち込みが大きくなるという点がある。

 

主体的になればなるほど、失敗は自分の責任であり、ひどくおちこむのである。

 

自分がいまいち主体的になりきれていないのは、こういったところからきている。

 

失敗が怖いのだ。

 

この感情をどうにかしてやろうと思っているが、26年付き添ってきた感情はなかなかぬぐい切れない。

 

失敗してもいいのだ。

 

別にクビになるわけではない。

 

全てが自分の責任ではない。

 

そう思いたいのだが、なかなか思い切れていないのが正直なところだ。

 

これからは会社に行く際に、

 

「失敗してもいい。失敗しても次に活かせばいいし、自分が全て悪いなんてことはありえない。」

 

と口に出して家を出てみるのはどうか。

 

 

やっぱり行きたくない

いろいろと書いてみると少し楽になったが、やっぱり憂鬱感はぬぐい切れない。

 

嫌なものはやっぱり嫌である。

 

休日外出できないのに、平日会社行かないといけないのおかしくない?

 

フェアじゃなくない?

 

あー憂鬱だ。