1000年という時間

ふと気が付いたら、とっくに桜が散っていた。

 

今年は外出自粛の雰囲気の中、花見どころかお出かけすらできず、桜をゆっくり見ることができなかった。

 

毎朝自転車を漕いで出勤する際に、道端の桜を見て綺麗だなあと思うくらいだった。

 

今年はいつまでこの桜を見ることができるだろうか。

 

そんなことを考え、しっかりと目に焼き付けていたものの、気が付けば桜は散っていた。

 

 

 

 

毎年桜を見ると、この和歌を思い出す。

 

 

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」

 

 

調べてみると古今和歌集に載っている在原業平の歌らしい。

 

意味は、「世の中に桜というものが全くなかったら、春はもっとのどかな気持ちだろうになあ」といったところか。

 

中学二年の4月、初めて古文を習うという授業で、古文の教師がこの歌を紹介してくれた。

 

毎年桜の季節になると、教師としては「なんとか入学式まで桜が咲いているといいなあ。桜が散ってしまわないだろうか」と気を揉んでいる。

 

まるでこの歌の心情のように。

 

 

そんなことを言っていた気がする。

 

私は古文なんて全くできなかったが、この歌だけははっきりと覚えている。

 

そして私も毎年春に桜が咲くと、この歌のように、今週末まで咲いていてくれるだろうか、などと気にかけている。

 

そしてその度にこの歌を思い出す。

 

 

 

Wikipediaによると在原業平は825年に生まれ、880年に没したらしい。

 

この歌は1000年以上も前の歌なのだ。

 

もちろん当時はソメイヨシノではなかったはずで、違う桜を見ていたことになるが、それでも1000年経っても人間というのは同じことを思っているのだ。

 

そしてその心情をたった31文字で表し、1000年以上も語り継がれる在原業平という人間のすごさよ。

 

スケールの大きさを感じる。

 

 

 

もうとっくに桜は散ってしまっているが、この感動を書いておきたかった。

 

来年は桜を見にお出かけができる世の中になっていてほしい。