本気で悩んでいるときに人から言われて嫌だったこと~無駄なことなんてない~

現在適応障害で休職中である。

 

休職する前、ひどく思い悩んでいるときに会社で言われて嫌だった言葉がいくつかある。

 

今回は「無駄なことなんてない」について話す。

 

いつも頭の中にあった疑問

適応障害として休職するまでの間、自分に合わない職場環境でなんとか成果を出そうともがいていた。

 

必死にもがきながら、このような疑問が常に頭の中にあった。

 

 

この苦しさは自分のせいなのだろうか。

 

自分に能力がないのがいけないのだろうか。

 

 

どんなに職場環境が悪いと感じていても、それを口に出すのは弱音と捉えられるかもしれない。

 

実際は職場環境はいたって普通で、自分が甘えているだけなのかもしれない。

 

 

善意によるちょっとした一言

そのような疑問を抱えながら、ある日別の課の先輩にふとした拍子に愚痴をこぼした。

 

「今の自分は無駄な努力をしているんじゃないかと思います」

 

そういった私に対し、その先輩はこう言った。

 

「無駄なことなんてないんだよ」

 

その先輩はとても後輩思いで面倒見がよい人だったので、

 

落ち込んでいる私を励ますためにそう言ったのだろう。

 

しかし、私にとってこの言葉はとても嫌で、苦しいものであった。

 

 

何がわかるのか

「無駄なことなんてない」

 

よく聞く励ましの言葉である。

 

なぜこの言葉が私にとって嫌だったのか。

 

私がこの言葉を聞いて真っ先に思ったことは次のようなことである。

 

 

 

あなたに何がわかるのか。

 

 

 

愚痴を聞いてもらっておきながら何様だという気持ちもあるが、

 

そう感じてしまったのだから仕方ない。

 

私は思ったのだ。

 

なぜ、無駄ではないと言い切れるのか。

 

私はたった一言、「無駄な努力をしているかもしれない」と言っただけである。

 

それ以外の情報を全く提示していないのに、

 

なぜ無駄ではないと言い切れるのか。

 

私は思った。

 

いい加減なことを言わないでほしい。

 

 

たくさん悩んだ末に出た愚痴

私はずっとずっと悩んでいたのだ。

 

今の努力は見当違いなのかもしれない。

 

もっと他に違う道があるのかもしれない。

 

いろいろ考えた末に出た愚痴だったのだ。

 

それを何も考えずに「無駄なことなんてない」で片づけてほしくなかったのだ。

 

私が求めていたのは建設的な解決策である。

 

そんな気休めは欲しくなかった。

 

 

欲しかった言葉

私が本当に欲しかったのは、「無駄な努力をさせている職場が悪い」という意見だった。

 

「無駄なことなんてない」の一言はその職場環境を肯定するようにも受け取れる。

 

思い悩んできた私にとって求めていたのは、

 

真摯に話を聞いてもらい、職場環境がいかに悪いかを認めてもらうこと

 

だったのだ。

 

 

善意ゆえに苦しむ

もちろん、その先輩が言った「無駄なことなんてない」という言葉は私を励ます善意によるものだったであろう。

 

それがわかっているからこそ、私はその言葉を無下にすることはできず、受け止めるしかなかった。

 

その言葉によって私はまた「やっぱり自分が悪いのだろうか」と苦しむこととなった。