心の余裕

今日はリワークの体験に行ってきた。

 

体験した内容は心理教育の授業の一コマであったのだが、その内容がなかなかよかったのでメモしておく。

 

 

テーマは「ストレスへの対応」といったところか。

 

ストレスとは

 

ストレスとはそもそもどんなものか。

 

 

 

人間何かしら危険を察知するとそれに対処するべく体に緊張が走る。

 

 

 

 

納期に間に合いそうにない、上司が怒っている…

 

そのような”危険”を察知し、無意識のうちに体や心がこわばる。

 

 

これがストレスなのだ。

 

 

このようなストレスがかかり続けると、体や心は疲弊してしまう。

 

 

これが病んでしまうメカニズムである。

 

(当たり前と言えば当たり前である)

 

根本的な原因

ストレスでやられないためにはどうすればいいか

 

上記のメカニズムを考えれば簡単である。

 

 

”危険”を”危険”と思わなければよいのだ。

 

 

納期に間に合わなかろうと、上司が怒っていようと、別に危険ではないのだ。

 

命がとられるわけではない。

 

平然としていればよいのだ。

 

 

 

しかし、そのような気持ちでいられたらそもそも心を病んでいないという話だ。

 

そんなことはわかっている。

 

それでも"危険"と感じてしまうから困っているのだ。

 

 

余裕・ゆとり

"危険"を"危険"と感じないためにはどうすればよいか。

 

それに必要なものは心の”余裕・ゆとり”である。

 

心に余裕があれば、たとえ納期に間に合いそうになくても、上司が怒っていようと”危険”と感じなくてすむ。

 

心に余裕があることが大事なのだ。

 

 

 

では、心の”余裕・ゆとり”はどうやって生まれるのか。

 

 

これは3段階に分けられる。

 

まず一つ目は土台作り。

 

その土台とは身体の健康である。

 

身体が健康になることが最初の一歩である。

 

 

そして二つ目は生活リズムを整えること。

 

身体が万全の状態になったら次は生活リズムを整える。

 

身体が万全であっても生活リズムが不規則であれば本調子は出ない。

 

 

そして三つめは(ここからうろ覚えなのだが)身体を動かすこと。

 

健康な身体で、生活リズムが整い、その身体を動かせば自然と「なにかやろう」という気持ちになってくる。

 

その状態が心の”余裕・ゆとり”なのだ。

 

 

(ちょっと三つめが怪しいので後で修正するかも)

 

 

集中と緊張

心に余裕を持って何かに取り組み始めると、集中して取り組まなければならないことも生まれてあるだろう。

 

そこで間違ってはいけないのは、集中することはよいことだが、緊張してはならないということだ。

 

緊張するとは体がこわばった状態、すなわちストレスがかかった状態である。

 

何か”危険”を感じている状態である。

 

集中することと緊張することは違う。

 

あくまでも心に余裕を持った状態でリラックスしながら集中することが大事なのである。

 

 

 

以上が今日の講義のまとめである。

(終盤が怪しいが)

 

 

本当に心に余裕を持ち続けることができるのかなあ。