大人

私は今、なかなかにやばい部署で働いている。

 

 

圧倒的人手不足の状況で、スケジュール大遅延、赤字確定のプロジェクトに割り当てられている。

 

いかにこの負け試合を早く終わらせるかが最優先事項である。といっても年単位のプロジェクトだが。

 

 

そんな状況下、私はとある資料を作らされた。

私の会社はメーカーだが、このプロジェクトを遂行するには、特殊な設備が必要となった。

その設備を製造するための費用を、社内投資費として計上させてもらうための申請を行うことになり、その申請書を作らされたのだ。

 

本来ならば、この設備はこのプロジェクトで使用するので、このプロジェクトでかかった費用として計上するのが筋である。

それを今後受注する可能性のあるプロジェクトでの汎用性を提示して、あくまでも社内の投資としての製造ということにしようとしているのだ。

ちなみに、この設備は特殊性が高く、今後のプロジェクトでの汎用性なんてものはない。

 

 

なぜこんなことをするのか。

 

プロジェクトの費用として計上すると、プロジェクトの赤字額が膨らみ、このプロジェクトを統括しているうちの部の責任になってしまう。

そこで、これを社内投資にすると、今後別のプロジェクトで使えなかったとしても、部の責任ではなく、部だけでなく会社全体の責任になるわけである。

 

そのために、私はうまく特殊性をごまかし、あたかも汎用性があるような書き方で資料を作るよう指示を受けた。

 

 

 

 

 

私はね、

こういうのがだいっきらいなんですよ!

 

 

この責任を他人に押し付けたところで、全体で見たときの赤字額は変わらない。

こんな資料を作る暇があれば、早くこのプロジェクトを完遂させることに労力を使うべきだ。

 

私は"正しく"ないことに労力を使うのが本当に嫌いだ。(ここでいう"正しさ"とは所詮私の中の"正しさ"に過ぎないことはわかっている)

 

 

こんなことをする大人になりたくはなかった。

 

 

今よりもっとギラギラした正義感を持っていた高校時代の私が今の私を見たらどう思うだろうか。

 

すまない、私の手はもうずいぶんと汚れてしまった。

 

 

 

最近、某広告代理店が談合をしたとニュースになっている。

規模を考えるに、相当の人間が関与したはずだ。

中には自分の正義感から苦しみながらも、上司からの指示で仕方なく手を汚した人間もいるのではないだろうか。

 

まあ、今回の私のケースはあくまでも社内政治の範疇に過ぎず、法令違反や顧客への不義理を働いているわけではないが。(その理解であってるよね)

 

 

 

 

大人になるというのは、時には自分の信念に反してでも自分の人生や家族を守ることなのかもしれない。

 

それが大人ならクソ食らえである。